呼びかけの声

チベットの平和を祈る広島宣言

2009年3月9日、10日、私たち事務局は広島県内の寺院のみなさまと共に「チベットの平和を祈る広島の声」と題して、集会を行いました。今日のチベットの状況を鑑みてさらなる署名活動やチベットの平和のための活動が必要であることを再確認しました。 以下、決起集会にて最終的に採択しました広島宣言を掲載します。 —————————————————————————————————— チベットの平和を祈る広島宣言 2009 2009年3月10日  私たちは本日この原爆ドーム前に集いました。それは人類の歴史ではじめて核兵器が人間に使用された場所であり、対話ではない暴力という狂気の結果を具体的に人類に示している場所だからです。  ここで、私たちはチベットの人たちのために祈ります。これまで半世紀にもわたり、チベットでは何の罪も無い一般の市民が、不当に抑圧され、拷問をうけ、殺されてきました。これまでの50年で亡くなった方の総数は、この広島市の人口とほぼ同じです。  人間の生命や生活は決して暴力によって脅かされるべきではありません。どんな人でも自らの信仰、思想、信条を口に出す、言論の自由をもっています。暴力の最終的な形が人類の破滅でしかないことは、私たちがいま立っているこの屍の大地が語り続けているのです。  私たちはチベットの人たちのために祈ります。この問題がいまも未解決なのは、中国政府をはじめ、国際社会のさまざまな団体、企業、グループが自らの利害関係を優先し、他者の苦しみに無関心であったからです。それがチベット問題が解決しない最大の理由なのです。しかし平和は武力によってではなく、他者に対する思いやりのみによって築かれるものです。  半世紀のチベットの苦難と闘争は決して彼らだけのものではありません。力のあるものが弱者をいじめている時に、その人が死んでしまうまで見てみないふりをすることは、人間の行為ではありません。だからこそ私たちはこのチベット問題に対しその苦痛を悼み、宣言します。  私たちは自分の能力の限り、中国政府が人権蹂躙や文明の破壊活動を即刻中止するようはたらきかけます。そしてこの問題が全面的に解決するために、すべてのチベットの人の代表者であるダライ・ラマ法王と中国政府側とが、第三国の仲裁のもと、無条件での直接対話をすることを望みます。  ダライ・ラマ法王の言葉にもあるように、この世のすべての問題は、人間がつくりだした問題にほかなりません。だからこそその解決もまた人間によって実現できるはずなのです。チベットの問題は必ず解決できる問題であり、世界平和は決して不可能なことではないことを私たちは信じています。チベットに本当の平和と自由を。 チベットの平和を祈る広島の声 参加者一同

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いまこそ直接対話の枠組みをつくるべきである

今回もダライ・ラマ法王の側との対話がもの別れに終わってしまった。 それは何故だろうか?それは「対話」と呼べるようなものではないからである。ダライ・ラマ法王の側と中国政府側との溝は深いものがある。それは様々な問題が絡み合っているが、チベット問題はこの溝を埋めない限り解決しないし、このままいくとまた何年か後に世界はチベットの人々が殺されるのを見たり聞いたりせざるを得ないのである。 我々が本署名サイトで日本政府にもとめているのは、チベット問題に関してこの問題を解決するための国際的な枠組が必要であるということである。これができないのならば、この問題はいつまで立っても解決しないだろう。そしてそれを構築しようとしない我々の政府は結局は何もしていないのと同じだということである。 話を簡単にしておくのならば、喧嘩している双方には仲裁者が必要だという話である。たとえば男女の仲でも同じことである。一度いがみあってしまった当事者がいくらお互いの要求をしあっても話し合いが進む訳がない。だからこそ民事裁判というものがあるのであり、弁護士を通じた和解というものをするのが通例なのである。 チベット問題の解決には、かならず国際的な第三者をまじえた対話の場が必要である。そしてアジアにおける平和貢献国家を目指そうとする日本はそれをすべきではないだろうか。もちろんいま国会はねじれ国会になって大変な時であろう。世界恐慌も大変なできごとである。しかし、いま目の前で死んでいる人たちを助けることができなくて、どうやって世界のなかでリーダーシップを発揮する国家を形成しようというのだろうか。 チベット問題を闇に葬るべきではない。オリンピックも終わったいまこそ直接対話の場をつくるべきではないだろうか。 呼びかけ人/事務局 野村正次郎 ダライ側との対話、物別れ 中国、「独立」放棄要求  【北京6日共同】中国共産党は6日までに終了したチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世の特使との対話で、現行のチベット自治区の統治制度は断固変えないと表明、変更を求めるダライ・ラマ側の要求を拒絶した。国営通信、新華社が同日、伝えた。  チベット自治の在り方をめぐる双方の対立の溝は埋まらず、対話は完全に物別れに終わった。  チベット問題は北京五輪を前にした3月のラサ暴動で国際的な関心が高まったが、進展が得られなかったことで、亡命チベット人社会ではダライ・ラマの対話路線に批判が強まる可能性がある。  対話継続の是非などについて亡命チベット人の代表らで協議する緊急会議が17日から、亡命政府があるインド北部ダラムサラで開かれる予定。  新華社によると、対話にはチベット問題を主管する統一戦線工作部の杜青林部長が出席。杜部長は「中国は(少数)民族による地域自治制度を堅持する」と強調し「いかなる状況でもチベットの独立や半独立、形を変えた独立は認められない」と断言。ダライ・ラマに対し、政治要求を根本的に改め、暴力活動の扇動やチベット独立画策の動きを支持しないよう警告した。

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チベットから未来を思うために

 馬を中心に龍・虎・獅子・ガルーダ鳥を描いた幸運をもたらすシンボル「ルンタ」と、それが描かれた祈りの旗「タルチョ」、そして仏塔「チョルテン」。チベットへ向かい旅をし、それらが見えた時、私はかの地にやって来たことを実感する。タルチョやチョルテンは、そこにチベット人が住んでいる、あるいは、そこが彼らにとって聖地であることを明示するけれど、自と他を区分する境界を示す標識ではないようだ。  チベット人たちは、中国とインドという大きな文化圏の間にあって、それぞれの文化の影響を受けつつ、自分たちの住む高原の風土に根ざした文化を創造してきた。ルンタやタルチョ、チョルテンはその一例だ。今、私の目の前にあるチベット語文献の数々は、そうした文化を築いてきた人々の、思いの詰まった百科事典だ。英雄叙事詩のページをめくる。ユーモアに富み、荒唐無稽でありながら、そこから発せられる無数の無名の人たちの声は、生命のリズムとなり、やがて一筋の甘露となって私に流れ込む。チベットの文化は、いろいろなことを気付かせてくれ、私をおおいに成長させてくれた。  チベットというものを理解しきることは、外国人である私にとって不可能なことだと思う。でも、不可能だとわかっているからこそ、かの地とそこに住む人々を中心にした輪の中で様々なことを思ってゆきたい。まだそこから学ぶべきものは山と積まれている。学ぶため、思うため、そのためには、これ以上かの地で血が流されてはいけない。そこに住む人々に、痛みが強要されてはならない。そして、そこに住む人々、世界のあらゆる人々と私たちが、互いに思い合い、尊重しあい、共に自律し幸せを営む未来が生起させられなければならない。  そのために、独りよがりかもしれないが、何かできることを考えつつ。 三宅伸一郎(大谷大学講師)

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